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船坂圭之介さんの秀歌十二選

001:おはよう
二十年ともに生き越しオウム逝く去り際に言ふ「おはやう」悲し
 一読した折、評者はうかつにも、「生き越し」を「生き来し」の変換ミスかと思ったが、ここはこれでいいのだろう。「越」は「山坂越えて」の「越」であり、高齢にして病身と推測される作者の過去二十年間にも幾多の「山坂」が聳えていた違いない。作者はそれを「オウム」と共に「生き越」えて来たのである。四句目「去り際に言ふ」を「今際に言ひし」としたらどうでしょうか。

004:塩
塩を断ち水怺へつつ運命を辿りつゆかな腎を病む身は
 縁者の出世などを祈願して行う、昔語りの「塩断ち・水断ち」はなかなかの難行苦行であったと思われるが、昨今の腎臓病患者などが行う「塩断ち・水断ち」は、それ以上の難行苦行。船坂さんのご努力を称え、病勢の緩やかならんことを祈るのみ。

007:壁
壁を這ふ蜘蛛ひとつ居り春の陽の際やかに映ゆなかに身を伏せ
 「際やかに映」える「春の陽」の「なかに身を伏せ」て「這」う「蜘蛛」は、まさに作者の分身。村上鬼城の境涯俳句と重ねて鑑賞させていただいた。

010:蝶
幕間ひのひととき啜るラーメンの絵になる今日の蝶々夫人
 「ラーメンの」の「の」は、比喩を表す格助詞であろうか。
 だとすれば、一首の意は、「幕間ひのひととき啜るラーメン」は、あまりにも美味しくて絵になるが、それと同じように、「今日の」のオペラ舞台の「蝶々夫人」は、あまりにも美しくて「絵」になる。といったところか?
 「解かったような解からないようなところが魅力」といった秀作も確かに在る。

019:豆腐
食べたきは麻婆豆腐に明太子 腎病むわれに許されぬもの
 辛味塩味は腎の敵。船坂さんよ我慢、我慢。

033:すいか
旬に未だ及ばぬすいか寧ろ佳き 水したたるをそと口に当つ
 作者は、「旬に未だ及ばぬすいか」の「水したたるをそと口に当」てただけで、食べないのである。これが「旬」の盛りの甘味の乗った「すいか」であったらどうなるか?
 だから、作者にとって、「旬に未だ及ばぬすいか」の方が「寧ろ佳き」なのである。

034:岡
一介の御用歌人と成り果つる岡井隆の髭の寂しき
 言い難いことをよくぞ言った下さった。詠み難い主題をよくぞ詠んで下さった。
 あの方ならともかく、この方の「歌会始め」の選者姿は目も当てられない。

036:船
卵黄のあはれ黄なるを崩されて夕餉乏しき二等船室
 卵黄のあはれ黄なるを崩されて夕餉寂しき船坂圭之介    FOXY

048:凧(船坂圭之介)
乾きゆく雲、風、心垂直に墜つる小さき凧(いかのぼり)一つ
 「小さき凧」は、「乾」いても満たされない作者の「心」即ち「願望」か。その願望が「垂直に墜つる」のである。

053:キヨスク
キヨスクの弁当開く博多行最終列車の最後尾にて
 評判の駅弁ならいざ知らず、定番の「キヨスクの弁当」は美味しいはずがない。その不味い「キヨスクの弁当」を「博多行最終列車」で「開く」のである。しかも「最後尾」の座席で独り。
 俳人・村上鬼城は、小動物に託して己の境涯を詠んだが、歌人・船坂圭之介さんは、食物に託してご自身の境涯を歌われる。前掲の「塩・水・麻婆豆腐・明太子・すいか・卵黄」といい、本作の「キヨスクの弁当」といい、実に巧みだ。いや、船坂さんの場合は、「巧まずして」の秀作である。

073:寄
打ち寄する月の出潮や手招きをすれば静かに足元へ来る
 夕潮が静かに作者の足元に打ち寄せるのであるが、それと一緒に、その夕潮に映っている夕月も作者の足元に静かに打ち寄せて来るのである。
 そうした微妙な動きのある光景を、作者は、三句目から四句目への句跨りの語句「手招きをすれば」 を巧みに用いて詠んだ。

100:おやすみ
おやすみとつい声掛けて亡妻の居ぬ空間を見詰むしばらく
 「001:おはよう」の「オウム」とこの作品の「亡妻」の照応が見事。「首尾一貫」とは、船坂さんの「題詠2008」の百首の謂いか。











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